ドゥーマ (Дума)
愛 称:なし (作者はくん付けで呼ぶことが多い)
誕 生:1906年4月27日 (最初のドゥーマの開催日)
性 別:男 | 見た目年齢:20代後半 | 身 長:168cm

帝政期のロシアで開かれた国会。 1905年の十月勅書で開催が約束され、翌年4月に開催。 国家基本法などにより、ツァーリによる権限は依然と強いままとされ、 ドゥーマは完全な議会制民主主義制にはならなかった。 それでもようやくロシアに議会制という政治のやり方が生まれ、 それが根付いていったことは有意義であったと評価される。 1917年の十月革命までに、4回開かれた。 第一回と第二回は短命に終わる。 より制限された選挙のもとで開かれた第三回・第四回は、それなりに長く続いた。

「僕は単なる諮問機関ではない、国を代表する国会なんだ。」

臨時政府 (Временное правительство)
愛 称:ヴリプラ(Врепра)
誕 生:1917年3月2日
性 別:男 | 見た目年齢:20代半ば | 身 長:180cm

二月革命で帝政が倒されたあと、ドゥーマ議員でもあった自由主義者たちが中心となって新たに創設した暫定政府。 当初はペトログラード・ソヴィエトと二重権力状態であった。 のちに解消するもソヴィエト側との対立は続いた。臨時政府内の政党の意見の不一致や、戦争継続の方針から農民や労働者からの支持を得ることはできず、急進的な社会主義政党であるボリシェヴィキによって政権を奪われ(十月革命)、その役割を終える。

「専制の時代は遂に幕を閉じ、新しい時代がやってきたのさ。」

10月同盟 (オクチャブリスト/Октябристы)
愛 称:オクト (Окт)
誕 生:1905年
性 別:男 | 見た目年齢:20代半ば | 身 長:170cm

正式名称は10月17日同盟(Союз 17 Октября)。 1905年の革命の際に提示された十月詔書(十月宣言)を遂行することが目的として結成された 穏健派自由主義政党。 ツァリーズム体制下に恩恵を受けていた大地主が主体で、親帝政の保守寄り政党である。 皇帝ニコライ2世の助力を得て、第三回と第四回の国会で多数派となる。 二月革命におけるニコライ2世の退位については、一時的空位期間であり、帝政の終わりではないと豪語した。 臨時政府においてまだ勢力はあったが次第に衰退し、解党した。

「革命なんて物騒な…やれやれこれだから野蛮人は…。」

立憲民主党 (カデット/Кадет)
愛 称:なし (作者はくん付けで呼ぶことが多い)
誕 生:1905年
性 別:男 | 見た目年齢:20代前半 | 身 長:173cm

正式なロシア語の名前は(Конституционная Демократическая партия。ドゥーマ開催の折にに創立。 ブルジョワ主体の自由主義政党で、議会制・議院内閣制などの導入を目指した。 短命に終わった第一回ドゥーマでは多数派を獲得したが、ツァーリの手によって無意味に。 第四回ドゥーマの最中である1915年にオクチャブリストと進歩党と共に「進歩ブロック」を形成して政府に対抗した。 二月革命後、臨時政府で主権を握る。7月暴動後はメンシェヴィキとエスエルと連立体制に。 以後は勢力を失い、十月革命にてボリシェヴィキに敗北した。

「問題はまぁ色々あるけれど、なんとかなるさー!」

進歩党 (プログレッシスティ/Прогрессисты)
愛 称:プローク (Прог)
誕 生:1908年
性 別:男 | 見た目年齢:20代半ば | 身 長:179cm

カデットよりは右寄りの自由主義政党として結成。 オクチャブリストが次第に影響力を失うのに反比例する形で勢力を伸ばした。 1915年の進歩ブロックではカデットに加え、オクチャブリストらとも提携した。 また二月革命後の臨時政府樹立に際し一躍を担った。 新政府のもとで自由主義勢力の統合が呼びかけられ、一部のメンバーはカデットに合流した。 他方、残りのメンバーは独立した党を維持させようとしていたが、十月革命の後に党は消滅した。

「カデットだけに自由主義を掲げさせる訳にはいくまい。」



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